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Posted by たまりば運営事務局  at 

2008年08月10日

内田百閒

内田百閒(うちだひゃっけん)

小学校からの友人、内田栄太郎くんは中学1年の時の担任の大塚重治先生に怒られるとき「おまえのおじいちゃんは有名な小説家だったんだぞ」とわけのわからない怒られ方をしていた。

いっしょに、聞いていたわしもなにを指してそう言ってるのか理解できなかった。

大塚先生は中一のわしらに「本を読め、本を読め」と繰り返し言っていた。

2学期くらいからは毎週1冊読んでは、感想文を書かせては提出させるようになった。だから今まで読書なんかあんまりしなかったのに、読まされたおかげで読書というか本が好きになっていった。

大塚先生は「男は40歳を過ぎたら、顔に責任を持て」とも言っていた。

わしは40歳をだいぶ過ぎてしまったが、先生に顔を見てもらいたいものだ。

12歳で中学に入学した時、自分は35歳だと、うそをついた先生。実際は42歳だったのだ。30歳年上だから今、78歳だ。

井の頭公園の裏の方に住んでいた。時々井の頭公園に行った時、ふとあの辺を歩くと、昔の記憶をたよりに「大塚」の表札を探しているのだが、見つからない。

そうそう、内田百閒は大人になってから「うっちゃん」のおじいちゃんのことだと気づいたのだ。

うっちゃん家はバス通りのアパートに住んでいた。たぶんそこに内田百閒先生もいたんだろう。

わしは内田百閒先生と5mくらいの距離にいたんだ。そして同じ空間の空気を吸っていたんだと思う。  


  • Posted by たかやん7  at 21:42Comments(0)

    2008年08月10日

    三鷹電車庫の陸橋

    太宰治が玉川上水にて入水自殺したのは有名な話だ。

    今の若い人が知っている玉川上水では、どうやって自殺したのか不思議に思うかもしれないけど、わしが小さかった昭和30年代後半、東京オリンピック前の頃は三鷹駅から吉祥寺に向かったあたりに少しだけ見えた玉川上水はものすごく水が豊富で流れも早くて子供ながら近づくのが怖いくらいだったのだ。

    小学生になった頃から水の量も減り、その頃には川岸に下りることも平気になった。鮒なんかも釣れたのだ。

    そうそう、今年は太宰治生誕100年だそうで、新聞にも太宰のことがたくさんでていた。

    太宰は三鷹電車庫の近くの陸橋からよく夕日を見ていたそうだ。

    わしも小学校の頃、陸橋を通ったことがある。太宰と同じ場所にいたと思うと感無量である。

    あの陸橋からは三鷹文化(映画館)のポスターがよく見えたのだ。映画はポルノが多かった。

    友人のイッチャンなんかは「見ちゃだめ、教育上よくない」などと言いながらもみんな指の間からポスターを見て、興奮したものだった。

    三鷹にも映画館ができないかなあ。

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  • Posted by たかやん7  at 18:39Comments(1)