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Posted by たまりば運営事務局  at 

2008年08月30日

天下御免の極落語―平成の爆笑王による“ガーコン”的自叙伝

川柳師匠をこないだ、池袋演芸場で見たけど、はちゃめちゃで最高爺だ。

平成の林家三平だ、いやそれ以上。

買って読んで間違いない。

川柳川柳師匠は噺はいつも同じネタだそうだ。

わしはこないだ初めてだったからなんとも感じなかったが、2度3度でも許されるのだろうか?

本人は同じネタに飽きないそうだ。  


  • Posted by たかやん7  at 15:57Comments(0)

    2008年08月27日

    夢をかなえるゾウ

    だいぶ前に買ったのだが、放置プレイをしてしまった「夢をかなえるゾウ」を読み始めた。

    この本はゴマ書房の編集者に紹介されたのだ。今年の2月くらいだったかな。

    わしの出しているメルマガ「1億円が落ちている歯科医院」が目に留まり、出版しないかと誘いが来た。

    話だけ聞こうと思い、編集者と話したのだが、出版するのには約300万円をわしが払わなくてはならないのだ。

    これでは自費出版と同じなので断ったしだいである。

    その時の編集者がこの本を教えてくれたのだ。

    皆様にもオススメだ。  


  • Posted by たかやん7  at 00:55Comments(0)

    2008年08月17日

    ピンポンさん

    「ピンポンさん」とは卓球の世界チャンピオン、荻村伊知朗のことである。

    荻村は三鷹の誇りである。

    うちのすぐ近くに国際卓球会館というのがあった。

    国際とは名ばかりであまりきれいな卓球場とはいえなかった。しかし、雨が続いて野球ができなかったりすると、お世話になった。

    わしはそこが世界チャンピオンの卓球場とは知らなかったのだ。

    やたらとトロフィーや賞状、荻村さんの写真があったのは覚えている。

    わしは荻村さんの長女直実さんと幼稚園と小学校で同級生だったのだ。

    荻村さんが偉大な世界チャンピオンだったことは、母からかなり後で聞いた。そして荻村さんは直実さんのお遊戯会や運動会もよく観に来ていたそうだ。

    きっと、いっしょだったわしのことも目には入っていただろう。

    荻村さんのことを書いた「ピンポンさん」と「荻村さんの夢」は面白い本だ。  


  • Posted by たかやん7  at 22:04Comments(0)

    2008年08月14日

    山本有三

    山本有三と言えば「路傍の石」である。

    三鷹駅から井の頭公園に歩いていく時は玉川上水沿いに歩いていくとまんすけ橋に出る、そこが井の頭公園である。

    その途中に「有三文庫」がある。

    わしはその存在は知ってはいたのだが、まさかそこが山本有三が住んでいたところとは知らなかったのだ。

    だから、小学生の時に左右の人差し指を口に入れて横にひっぱり「学級文庫」というと「学級うんこ」という全国展開している遊びに対して我々三鷹の小学生は「有三文庫」=「有三うんこ」とやるのだが、ともだちに「ゆうぞう君」なんていたかな?

    誰のことをやっているのか知らないままやっていたのだ。

    「山本有三さん」ごめんなさい。

    大学時代の友人、田上君は金沢八景に住んでいて「俺たちの方は金沢文庫でやっていたそうだ」

    つまり

    「金沢うんこ」  


  • Posted by たかやん7  at 12:30Comments(0)

    2008年08月12日

    武者小路実篤

    わしが本当に読書好きになったのは、中一の夏休みの宿題で読書感想文を書いたことがきっかけだ。

    なにを読んだかというと武者小路実篤の「友情」である。

    題名に惹かれて買ったのだ。わしにとって初めて買う文庫本だ。

    それまでは、あんまり本を買う機会もなかったのだが、買ったとしても子供向けの厚い表紙で字の大きなものだ。

    字が小さく本の大きさもポケットに入るような本はそれまで買ったことがなかったのだ、ちょっぴり大人になったような気分であった。

    その当時、文庫本になるような人は夏目漱石や芥川龍之介のような明治時代の人ばかりだと思っていた。

    つまり故人の作品が文庫本というイメージだった。

    当然、武者小路実篤もその時、亡くなっている人だと思っていた。

    ところが、それからだいぶ年月が経過した頃、武者小路実篤の死亡記事を新聞で見たのだ。

    えー、亡くなってる人じゃなかったの?というのが最初の印象だ。

    しかも、住所を見たら三鷹ではないか、すぐ近くに住んでいたのだ。

    思い込みなんてのはこんなもんだ。  


  • Posted by たかやん7  at 13:46Comments(0)

    2008年08月10日

    内田百閒

    内田百閒(うちだひゃっけん)

    小学校からの友人、内田栄太郎くんは中学1年の時の担任の大塚重治先生に怒られるとき「おまえのおじいちゃんは有名な小説家だったんだぞ」とわけのわからない怒られ方をしていた。

    いっしょに、聞いていたわしもなにを指してそう言ってるのか理解できなかった。

    大塚先生は中一のわしらに「本を読め、本を読め」と繰り返し言っていた。

    2学期くらいからは毎週1冊読んでは、感想文を書かせては提出させるようになった。だから今まで読書なんかあんまりしなかったのに、読まされたおかげで読書というか本が好きになっていった。

    大塚先生は「男は40歳を過ぎたら、顔に責任を持て」とも言っていた。

    わしは40歳をだいぶ過ぎてしまったが、先生に顔を見てもらいたいものだ。

    12歳で中学に入学した時、自分は35歳だと、うそをついた先生。実際は42歳だったのだ。30歳年上だから今、78歳だ。

    井の頭公園の裏の方に住んでいた。時々井の頭公園に行った時、ふとあの辺を歩くと、昔の記憶をたよりに「大塚」の表札を探しているのだが、見つからない。

    そうそう、内田百閒は大人になってから「うっちゃん」のおじいちゃんのことだと気づいたのだ。

    うっちゃん家はバス通りのアパートに住んでいた。たぶんそこに内田百閒先生もいたんだろう。

    わしは内田百閒先生と5mくらいの距離にいたんだ。そして同じ空間の空気を吸っていたんだと思う。  


  • Posted by たかやん7  at 21:42Comments(0)

    2008年08月10日

    三鷹電車庫の陸橋

    太宰治が玉川上水にて入水自殺したのは有名な話だ。

    今の若い人が知っている玉川上水では、どうやって自殺したのか不思議に思うかもしれないけど、わしが小さかった昭和30年代後半、東京オリンピック前の頃は三鷹駅から吉祥寺に向かったあたりに少しだけ見えた玉川上水はものすごく水が豊富で流れも早くて子供ながら近づくのが怖いくらいだったのだ。

    小学生になった頃から水の量も減り、その頃には川岸に下りることも平気になった。鮒なんかも釣れたのだ。

    そうそう、今年は太宰治生誕100年だそうで、新聞にも太宰のことがたくさんでていた。

    太宰は三鷹電車庫の近くの陸橋からよく夕日を見ていたそうだ。

    わしも小学校の頃、陸橋を通ったことがある。太宰と同じ場所にいたと思うと感無量である。

    あの陸橋からは三鷹文化(映画館)のポスターがよく見えたのだ。映画はポルノが多かった。

    友人のイッチャンなんかは「見ちゃだめ、教育上よくない」などと言いながらもみんな指の間からポスターを見て、興奮したものだった。

    三鷹にも映画館ができないかなあ。

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  • Posted by たかやん7  at 18:39Comments(1)